日本から海外を拠点に活動を続けるカプセルですが、海外で挑戦し続けていると、多くの困難に出会います。今回の記事では、同じように日本から海外に進出し、挑戦している方たちにインタビュー。海外進出のヒントになるようなエピソードをご紹介いたします。
今回話をお伺いしたのは、株式会社Zeppホールネットワークで「海外運営事業部チーフプロデューサー」を務める、本多真一郎さん。2020年7月31日に「Zepp New Taipei」をオープンしたことも大きな話題となりました。
上海・香港・シンガポール、そして台湾と、10年以上海外でビジネス経験がある本多さんに、これまでの海外生活はもちろんのこと、台湾に進出した理由、そして海外進出するうえでいちばん大切なことなど、お話をお伺いしました。
本多真一郎 株式会社Zeppホールネットワーク海外運営事業部チーフプロデューサー。1976年3月東京生まれ。2006年MBA取得。現在は台湾にて台湾事務所所長として台湾在住。1998年Virgin Megastore入社、小売業種勤務をスタートに、以降さまざまな会社を経て現職。海外在住経験は10年を超え、MAO Livehouse Shanghai・ Zepp DiverCity・Zepp@BIGBOX Singapore管理を経て、現在に至る。 |
〈聞き手=サタマサト・たちばなあいか(カプセル)〉
お金ではなく、結局は人間同士の信頼関係。ローカルをリスペクトし、理解するかが大事
カプセル・サタ:
「Zepp New Taipei」のオープン、おめでとうございます。いままさにお忙しいと思うのですが、現在はどんな感じでお仕事を進められてるんですか?
本多:
現在は主に3名で業務を行っています。台湾人の男性スタッフが、会場の内覧などをご希望するお客様のご対応、もうひとりの台湾人女性スタッフが、申請の処理やデスクワークなどを担当しています。そしてわたしが、アーティストのブッキングを統括していますね。とはいえ3人だけなので、みんなで協力しながら業務を進めています。あと技術面の方では、台湾現地のパートナーさんといっしょに運営しています。
サタ:
少数精鋭でやられてるんですね。本多さんは海外生活が長いとお伺いしているんですが、これまでの経緯をお聞かせいただけますか?
本多:
もともとのスタートは、イギリス系のレコード会社にいました。ですが、その会社が日本から撤退することになりまして。その後はいわゆる「プー太郎」でした(笑)
カプセル・たちばな:
「プー太郎!」その言葉、久しぶり聞きました(笑)
本多:
当時は、まだニートという言葉がなかったので(笑)。ただ、国際的な場所にはずっと憧れていて、昼間は英会話教室に通って英語の勉強をしつつ、夜は六本木でクラブのウェイターをして。六本木では夜の英語を学んでましたね(笑)
その後転職した職業が、音楽の専門学校の職員でした。そのとき、コンサート学科の職員をやっていたのですが、正直当時はコンサートのことなんて、なにも分かりませんでしたね。授業はコンサートプロモーターの会社の方がしてくださるので、わたしがそこに出向しまして。学生との間に入ってシラバスを作ったり、学生の管理を担当していました。
現場の最前線にいるプロの方が授業をしてくださるので、僕自身とても勉強させていただき...。正直、学生より僕の方が勉強してたんじゃないかって思っています(笑)。この職場には4年在籍していましたが、2年間は夜間の大学院に通って、MBAも取りましたね。
たちばな:
すごい!めちゃくちゃパワフルですね。そこから中国に渡航されたきっかけはなんだったのでしょうか?
本多:
ちょうどその時期に「中国が面白い」といわれはじめたので、「中国に行ってみたいな」と思うようになったんですね。いまもそうですが、中国は大きいので「未開の地・中国」のようなイメージがあり、それでいて難しさもある場所で。実際、中国に渡ってからが本当に大変でしたね...。
2007年に中国へ渡航したときは、退職金をはたいて1年間、「復旦大学」に社会人留学をしました。そのときの1年間で培ったネットワークで、中国現地の会社に入るのですが、1年でボコボコになりました...。中国語もまだまだでしたし。
本多:
それからいちど日本へ帰国し、日本のヴィジュアル系アーティスト事務所に入社することになるんですが、中国の上海で「MAO Livehouse」というライブハウスからお誘いをいただいたのがきっかけで、いまのライブハウス業界に入りました。当時は「日本人アーティストの海外での現地興行」をやりたいと考えていましたね。
その後、香港に2年滞在し、日本のアーティストの方のプロモーションなどをお手伝いしていたときに、いま所属しているZeppからお声がけいただきました。5〜6年前の話ですね。そこからZeppに入社し、いちど東京に戻ったあとシンガポールへ、そしていまに至るという経緯ですね。
サタ:
日本と海外をかなり行き来されてたんですね。長く海外でお仕事に携わってこられて、様々な苦労があったと思います。なにか具体的なエピソードがあれば教えていただけますか?
本多:
たとえば中国でいうと、出入国管理局や文化局など「国の機関」とのやりとり、そして歌詞の内容の検閲があります。中国だとコンサートを止められたりすることもあるので、中国で公演をするときは、万全の状態で準備をしないとうまくいきません。日本のやり方を通そうったって、そんなの上手くいくわけがないんですよね。
そういった意味でも、下固めがとても重要になってきます。ですが、その下を固めるためには、ローカルの人たちと長年仲良くしなければいけないですし。そのうえで、ローカルの人たちに仕事を任せなきゃ行けない部分もある。
サタ:
なるほど…。その国の文化に合わせた方法で、かつ地道に根を張っていくことも大切だと。それほど準備をされたうえでも立ちはだかった困難といいますか、「これがいちばん辛かった」と感じたことはあったのでしょうか?
本多:
これはどこかで見た言葉なのですが、「沒問題、沒問題、沒問題からの沒辦法」という言葉があります。これは「大丈夫、大丈夫、大丈夫からの突然のもう無理、もうどうしようもない」ということ意味です。先ほどお話ししたとおり、徹底的に下固めをしてきても、最後の最後にぜったいなにか起こる。これはかなり辛いですね。
たぶんですが、中華圏の難しさはこの一言に尽きると思います。現地の方でも同じことが起こるようなので、外国人であるわたしたちは、なおさらですよね。最近はかなり改善されてきたと感じますが、中華圏で苦労されたことがある人は、理解していただけるお話ではないでしょうか。
サタ:
なかなか一筋縄では行かなかったわけですね。お聞きしていると、やはり地道に人間関係を築いていくことが大切になってくるのかなと感じました。
本多:
そうですね。日本の素晴らしいコンテンツを世界へ発信するとき、成功に導くための最大要因は、ローカルの人たちと手を組んで、どこまで信頼関係をもって事にあたれるかだと思います。
これはお金だけの話ではなくて、人間と人間の付き合いの話もです。中国にしても台湾にしても、ローカルの人たちをリスペクトする必要があります。人間だから苦手なところも当然出てくると思うので、そこも含めて好きになる必要はないとは思いますが、理解はしなきゃいけないなと感じますね。
ここにもローカル文化を理解する本多さんの考え方が垣間みれる
20年後の国の文化の底上げを。ライブハウスを作ることは「インフラ整備」といっしょ
サタ:
Zeppの海外戦略の話になるのですが、台湾だけでなくシンガポール、そして準備されているクアラルンプール、続々とアジア展開されています。正直今までそういったイメージがなかったのですが、なにかきっかけがあったのでしょうか?
本多:
若干堅い話をすると、日本の音楽市場はもう飽和状態なので、日本人アーティストもどんどん海外でも稼いでいこうという流れになっています。ですが、実際出て行こうとすると、ライブができる適正な会場がない。そしたら作ればいいじゃないか、という流れで現在の状況に至っています。
台湾は当初から海外進出の構想にあったのですが、先にシンガポールの話がトントン拍子に進みまして、先にオープンしましたね。現在シンガポールの会場は閉鎖していますが、台湾は今まさに、マレーシアはこれからですね。ただ、やることはいつどこでも同じです。技術の方々と調整を図り、ローカルの影響力を持つブッキングの方と知り合い、ブッキングを固めていく。そういった形になります。
サタ:
国によって日本の音楽の受け入れられ方が異なると思うんですが、個人的にシンガポールでは、J-POPが好まれているイメージがあります。
本多:
シンガポールの立ち上げをして感じたのは、日系の音楽が強いのはやはり漢字文化圏だということ。ここでいう「漢字文化圏」というのは、中国・台湾・香港のみ。それ以外の国の音楽市場は、完全に英語圏型と多言語です。私たちもかなりマーケット調査をおこないましたが、アジアの南に行けば行くほど、J-POPは難しいなと実感します。ですが、アニメに関してはどこの地域でも、世界中一定のコアファンがいるんですね。
本多:
あと、シンガポールではライブはもちろんのこと、企業様のイベントや宗教イベントなどで利用していただいていました。日本で宗教イベントというとちょっと怪しいイメージありますが、シンガポールはその地に根付いた仏教やキリスト教のライトなイベントなどもあるので、そういう方たちにも利用いただいていましたね。
サタ:
そして台湾ですが、街中でも日本の音楽が当たり前に流れていて、比較的J-POPの人気がある市場かと思います。そのなかでZeppの価値はどういったものになるんでしょうか?
本多:
仰るとおり、台湾は日本の音楽って非常に人気がありますし、アーティストの方は海外公演をしやすい国だと思います。ですが、やはり台湾も海外なので、日本での当たり前が台湾の当たり前ではありません。
もちろん台湾の他会場さんも素晴らしいところがたくさんありますが、わたしたちは日本と同水準で会場を作っているので、日本と全く同じ水準のホスピタリティ、ユーザビリティでライブが出来る、というのは安心してもらえるのではないでしょうか。
それに加えて、360度すべての音楽を受け入れ、ローカルのミュージックシーンを育てていく場所として考えています。というのも、台湾ではライブ専門に特化したミドルクラスの会場があまりありません。ミドルクラスの会場として、大きな会場に行く前のステップアップの場所にしてほしいなと思います。なので、他の会場さんと比べても値段をお安く設定しています。
サタ:
今回の台湾で一から立ち上げるというのも、ご苦労が多かったのではないでしょうか。よく納期が遅れるという話は聞きますが…。
本多:
いや〜、めちゃめちゃ遅れますね。台湾も遅れましたし。しびれました(笑)。それを見越してスケジュールを立てても、なお発生してしまう追加コストはあるので、もう腹をくくるしかないです。わたしたちのビジネスというのは、最初から5年10年、20年先を見ているので、「なんのための仕事か?」というところに立ち返ります。
「Zepp New Taipei」のオープンイベントでもお話しいたしましたが、私たちはライブハウスを作るのは、その国全体の文化の底上げをする「インフラ事業」のようなものだと考えています。高速道路を整備した費用って、回収遅いじゃないですか。ですが、何年後も高速道路をみんな安く使えたら便利ですよね。まさにそんな感じです。
中華圏で戦うなら台湾から。いまも変わらない台湾音楽市場の影響力
サタ:
いまの日本の音楽業界の話として、コンサートをする場所がないなど、いろいろと話を聞きますが、日本人アーティストの海外進出についてどうお考えなのかもお聞きしたいです。
本多:
各国状況が違うので一概にいえないですが、シンガポールの場合は、日本人アーティストの影響力がまだまだ弱いと感じます。ですが、1980年代だと、シンガポールでめちゃめちゃ日本文化って強かったんです。いまでいう韓国のような位置付けにいたので、日本の80年代アイドルも人気で。
本多:
逆に台湾市場でいったら、この「Zepp New Taipei」でも、日本の演歌などここでたくさん公演してほしいなと思います。演歌をやれば、歌謡曲も出来ますから。これだけ日本はコンテンツがあるんだよということも分かりますし。
たちばな:
確かに台湾では、若者だけでなくお年寄りも日本の演歌聴いてらっしゃったりしますもんね。
本多:
そうなんですよね。そして面白いのが、台湾で人気が出ると中華圏でも流行るんですよね。いまC-POP、つまり世界におけるマンダリンポップのコアはやっぱり今も昔も台湾で。
ここ数年で、中国大陸の楽曲制作もかなり水準が上がったと伺っていますが、世界で聞かれているC-POPは、台湾発という印象があります。中華系言語で世界で売ろうと思っている方は、だいたい台湾市場から入っているイメージがありますね。歌詞も中国語に翻訳されますし、世界中の中華圏に刺さりやすくなります。台湾人アーティストで言うと、Maydayやジェイチョウがそうでしたよね。
サタ:
僕も最初に覚えてハマった中国語の音楽は、まさにMaydayやジェイチョウでしたね(笑)
本多:
やっぱりそうなんですね(笑)世界中の中華圏に刺さる。ただ唯一刺さらないのが日本市場なんです。台湾アーティストで日本進出したい、という話はよく聞きますが、日本市場は難しいんですよね。
一方で、日本人アーティストが台湾マーケットで成功すると、なかなか直接は難しいアジアの南への進出も見えてくる。中国にも火が付きやすい。台湾は本当に重要な位置にあるんです。
Mayday(五月天):台湾でカリスマ的人気を誇るロックバンド。デビュー当時は中華圏にバンド文化が浸透していなかったが、台湾をはじめとする中華圏で人気が爆発。アメリカのCNNでは「アジアのビートルズ」と紹介され、ワールドツアーの開催経験も豊富。 ジェイチョウ(周杰倫):台湾をはじめとする中国・東南アジア全域で活躍するシンガーソングライター。楽曲提供やプロデューサーとしての一面を持ち、中華圏だけではなく、日本や欧米でもワールドツワーを何度も開催。役者としてのキャリアも高い評価を受ける。 |
たちばな:
日本のアーティストの方が台湾のZeppでやって成功すると中華圏が見えやすくなると。
本多:
まさにそうです。中華圏が「見えやすくなる」ですね。それとあわせて大事なのは、ローカルのアーティストと仲良くしていく。それこそいまの時代は、インフルエンサーとのコラボをYouTubeやInstagramでよく見る時代ですよね。とある日本のアーティストが台湾に来てライブしたとき、台湾のアーティストがコラボしたことや握手したことなどをSNSに投稿すると、一気に新たなファン層が広がりました。
そういった意味で、8月29日にライブをおこなうFire EX.(滅火器)は、過去日本のアーティストを招いて台湾の野球場でライブを行っています。彼らはバンド同士で、国を超えて仲良くやっていこう、という思いがあると思いますし、いまはコロナで難しいですがまた一緒にやりたいね、という思いもあり。(※8/29に日本人アーティストの来台はございません。)
当然私たちも同じ思いがあるので、8月29日には「日台友好のロックの夜」ということで、イベントを実施いたします。このような有機的で、いい取り組みを続けていければ、台湾・日本のアーティストの未来がどちらも晴れていくと思います。
Fire EX.(滅火器):2000年に結成された台湾のパンクロックバンド。日本のバンドに大きな影響を受けたと度々インタビューで語っている。活動の幅は海外まで広がり2016年には日本デビュー。細美武士など日本のアーティストとの交流も多い。Twitterでも日本語で積極的に発信を行っている。 |
Zeppを街のエンターテイメントスポットへ。台湾の音楽文化のために長いビジョンで考えたい
サタ:
最後に「Zepp New Taipei」の今後の展望をお聞かせいただけますか?
本多:
「Zepp New Taipei」を街のエンターテイメントスポットにしたいと考えています。売り上げも大事ですが、「ここに来たら何かやってるワクワクさせる場所」にしたいですし、実は台湾って欧米系のライブの数が少ないんですよね。なので、欧米系はもちろんのこと日本の演歌や歌謡曲など、様々なことをとがやれる場所にしたいですね。
本多:
また、ライブに来るということは、お客さまにとっては1日トータルでの経験じゃないですか。ここはショッピングセンターの中に入っているので、ライブで楽しんでもらえるのももちろんですが、他のテナントさんなども合わせて楽しんでもらったら、なお良しですね。
あとは「Zepp Tokyo」ができて20年経っているんですが、新型コロナウイルス前までは、毎日稼働していたんですね。いまは難しいですが、ここもそういった形で「いつもなにかやってる」場所にしたいですね。そして台湾の音楽文化のためにも長いビジョンで考えたいと思っています。
たちばな:
本多さんの個人の今後のビジョンもお伺いしたいです。
本多:
仕事とはあんまり関係ないすけど(笑)。自分が結構な文化オタクで...。沖縄の古い話だったり、言語の話などにとても興味があって。漢詩を作るのも好きなんです。なので、言語の勉強は続けていきたいなと思っています。
実はいま、通信教育で京都芸術大学にも通ってるんです。もうすぐ卒業論文を書かなきゃいけないんですが、台湾の原住民に関することを書こうかなと。台湾の原住民に関する音楽イベントなどやれたらいいな〜とも思っています(笑)。
最後に
先日オープンしたばかりの「Zepp New Taipei」ですが、8月22日にはカプセル専属クリエイターの「黄氏兄弟」が開場後初の単独イベントとして登場しました。
また、8月29日にはお話の中にもあった「日台友好ロックの夜」と題した「Zepp 台灣 presents 台日友好搖滾之夜 Vol.1 」が開催。第1回は日本でも注目を浴びている台湾人バンドFire EX.(滅火器)をホストに迎えて、イベントがおこなわれます。
10年以上の豊富な海外生活がある本多さん。ここでは書き切れないお話もたくさんありましたが、音楽業界だけではなく、日本企業の海外進出、とりわけ中華圏へ進出する上でとても参考になるお話をお伺いさせていただきました。
本多さん、お忙しいところありがとうございました。
〈取材・文=たちばなあいか/取材・編集=サタマサト〉
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